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世界最古の薬草系リキュール〜ベネディクティン〜薬草酒の会より
この薬草酒の会とは、クラウターハウスの本校のビルの下にあるカクテルバーのマスターとクラウターハウスの代表が夜な夜な語るハーブとお酒とうんちくの夜会です。実はクラウターハウス大宮本校のあるビルの1階は大宮でも有名なカクテル&ショットバーなんです。
そこのマスターは、当然お酒のプロ。お店には、世界各地のお酒もずらり揃っていますが、中世ヨーロッパの修道院などで作られた、名だたる薬草酒も取り揃えています。ハーブスクールのクラウターハウスの代表こと、ハーブおじさんとバーのマスターの2人のお酒好きが、夜な夜な語り合う魔女と薬草酒の秘密の中で語られたお話の一部を、このハーブ&スパイスガイドでご紹介します。
第9回目は、「世界最古の薬草系リキュール、ベネディクティンのお話」です。
ベネディクティンとは
今回の薬草酒は、世界最古の薬草系リキュールで、中世ヨーロッパの修道院で作られました。
1510年、フランス北西部ノルマンディ地方にあったベネディクト修道院で多種のハーブを調合した長寿の秘酒が発明されました。蒸留酒にジュニパー・ベリーやアンジェリカ、シナモンを始め、27種の香草や薬草を漬け込んで製造されます。
ベネディクティンのボトルには「DOM(ドム)」と書かれたラベルが貼られていますが、DOMとはラテン語の「Deo Optimo Maximo(ディオ・オプティモ・マキシモ)」の略で「至善至高の神へ」という意味で、これはベネディクト修道会の書物の冒頭に献辞としてよく書かれる祈りの言葉でもあります。
その作り方は27種類のハーブ、スパイスを使用し、4つのグループに分け、1つはアルコールと水に15時間浸漬、他の3グループは3ヶ月間水に浸漬した後にポットスチルで蒸留させ、3ヶ月セラーで熟成させブレンド、その後オーク樽で8ヶ月間熟成。それにカラメル、サフラン、蜂蜜、シロップ、コニャックを加えて 2度加熱し再度オーク樽で4ヶ月熟成後、濾過させ製品となります。1930年代から、通常のベネディクティンをブランデーで割って甘さを抑えた「ベネディクティンB&B」も商品化されています。B&Bはベネディクティンとブランデー(Bénédictine and Brandy)の略です。
ベネディクティンはマスター・ハーバリスト(薬草の責任者)が世界中から品質を吟味して選んだ27種類の植物と香辛料を使って、マスター・ディスティラー(蒸留責任者)の確かな経験と技術によって時間をかけてじっくりと造られます。詳細は企業秘密にされていますが、大まかな製造行程は次の通りです。
材料ごとに中性スピリッツに漬け込んだ後、その成分に応じてゆっくり蒸留します。材料によっては2回蒸留します。蒸留にはル・グランの時代からの銅製の蒸留器が使われます。蒸留によって4種類のアルコール成分が抽出されます。これらの成分は「エスプリ」とも呼ばれます。
4種類のエスプリはブレンドして、大きなオーク樽で8ヶ月間寝かせます。これによって4つのエスプリが調和すると共にそのエッセンスが存分に引き出されます。
仕上げに蜂蜜とサフランを煎じた液をブレンドすることで、ベネディクティン特有のサフランとアンバーの色合いが生まれます。これを2回55℃まで加熱します。
最後に大きなオーク樽で4ヶ月間熟成して成分の微妙なバランスを合わせた後、濾過して完成します。
【分類】リキュール
【生産国】フランス
【主成分】27種の薬草
【度数】アルコール度数は40度
<リキュールの歴史>
ベネディクティンは1863年に商品化したリキュールですが、その原形となったのは中世ヨーロッパの錬金術師が編み出した長寿のための秘薬酒でした。もともとは、古代ギリシャの医師・ヒポクラテスが薬草をワインに漬け込んでつくった水薬がその起源だという説、古代ヨーロッパのケルト民族の自然薬としてヒーラー(薬草師)たちが使っていた説などなど諸説あります。
中世の修道士達は様々な技術、特に医学における研究を促進し、薬草を利用したインフーゾとよばれる煎じ茶(今のハーブティー)などを用いて病気と対峙していきました。
そして治療薬を長期保存でき、持ち運びができることを目的に、修道士たちは古代ローマから続くガレノス派医学を応用していき、「エリクシール(チンキ剤)」としてリキュールの開発が始まります。12世紀イスラム地域からヨーロッパに伝わった錬金術(今の化学)の目的は、金以外の物質を黄金に変える力を持つ「賢者の石」(そう、あのハリーポッターにも出てきました)人間に不老長寿をもたらす薬である「エリクサー」を生み出すことでした。
キリスト教にとって錬金術は異端扱いされている側面もありましたが、ヨーロッパ各地の修道院では勉学や薬作りの一環として密かに錬金術の研究が行われていました。いずれそれが医薬品を生み出していくのです。
<使われているハーブは?>
ベネディクティンのハーブは門外不出とされ、詳しくは公開されていませんが、幾つかのハーブは知られていますので、ちょっとご紹介します。
独特の香りを与えているのが、アンゼリカと言う二年草のハーブです。砂糖漬けにした茎や根が、昔から感染症への抵抗力と身体のエネルギーを高める強壮薬として使われています。東洋医学でもアンゼリカの仲間が用いられ、特に当帰は、浄血、滋養強壮、月経不順治療薬としてもっとも重要なハーブの一つです。
<主に使わているハーブたちと当時、薬草で期待されていた体への働き>
☆バニラ(熱病・ヒステリー・月経不順
☆コリアンダー(食欲増進・消化促進)
☆クローブ(しもやけ・冷え性・歯痛・消毒作用)
☆カルダモン(消化促進・頭痛)
☆アンゼリカ(消化促進・風邪・腹痛・生理痛)
☆ヒソップ(風邪・インフルエンザ・気管支炎・胸やけ)
☆シナモン(解熱・発熱・風邪・生理痛・冷え性・しもやけ)
☆ナツメグ(嘔吐、吐き気)
☆レモンの果皮(疲労回復・肝臓強化)
☆はちみつ(疲労回復・貧血・口内炎・心臓病・糖尿病・二日酔い・整腸・疲労回復)
☆アロエ(健胃・便秘)
☆タイム(二日酔い・風邪・のどの痛み・咳・消化促進)
☆しょうが(消化促進・血行促進・吐き気・体の洗浄作用)
☆サフラン(鎮静作用・鎮痛・月経不能)
<どんな味?>
薬草酒らいしい味というか、オレンジの風味もあって複雑な味のするもので、甘すぎない感じのお酒です。グラスにオレンジの皮を入れた瞬間に暖かい風が吹いてきて、目の前に豊かな草木や果樹園が拡がり、心が晴れやかに楽しい気持ちになりますよ。
薬草の会でのお話をちょっとご紹介します。
<ベネディクティンの伝説>
ベネディクティンは、1863年にアレクサンドル・ル・グランが商品化したリキュールですが、その原形となったのは中世ヨーロッパの錬金術師が編み出した長寿のための秘薬酒でした。12世紀イスラム地域からヨーロッパに伝わった錬金術の目的は、金以外の物質を黄金に変える力を持つ賢者の石、人間に不老長寿をもたらす薬であるエリクサーを生み出すことでした。キリスト教にとって錬金術は異端扱いされている側面もありましたが、ヨーロッパ各地のキリスト教修道院では勉学や薬作りの一環として密かに錬金術の研究が行われていました。フランス北部ノルマンディー地方のフェカンにあったベネディクト会のフェカン修道院も例外ではなく、修道士たちは蒸留や植物の研究に熱心でした。
ベネディクティンのもとになったレシピを書き残したドン・ベルナルド・バンセリ(Dom Bernardo Vincelli)はその中のひとりでした。
バンセリは、錬金術師でもあった古代の神人ヘルメス・トリスメギストスが記したとされるヘルメス文書に基づく古代思想のエキスパートで、1505年にイタリアのモンテ・カッシーノからフランスのフェカンへやってきた後、1510年に多種のハーブを調合してエリクサーを生み出しました。
バンセリが作ったエリクサーの噂は修道院の外に広がり、当時のフランス国王だったフランソワ1世(Francis I)がフェカンを訪れて、これを味わった際に「こんなに美味しいものを今まで飲んだことがない!」と叫んだということです。
その後、1787年にフランス革命が始まって、キリスト協会が弾圧を受けて修道院が閉鎖されるまで、このエリクサーは造られていたとされています。
ただし、これらのエピソードはベネディクティンの宣伝のためにル・グランが創作したものとも言われています。
<ベネディクティンの近代史>
ベネディクティンを商品として完成させたアレクサンドル・ル・グラン(1830/6/6〜1898/6/25)は、北仏の町フェカンのワイン商人であり美術コレクターでした。
ル・グランの家には、祖父の時代に1787年より始まったフランス革命の際に弾圧を受けて逃げることとなったベネディクト会のフェカン修道院から買い取ったか譲り受けたと思われる多くの書物が保管されていました。
1863年、ル・グランはそれらの書物の中から1冊のミステリアスな本を見つけて、強い興味を抱きました。1510年にドン・ベルナルド・バンセリという修道士によってブラックレターで書かれた200ページ程の書物で、古代思想であるヘルマン主義と錬金術の研究について扱っており、万能薬エリクサーを生み出す賢者の石についての記述を含んでいました。ル・グランは、試行錯誤の末にこの本に書かれていたエリクサーの再現に成功しました。そして、修道院にちなんで「ベネディクティン(Bénédictine)」という名前のリキュールとして売り出すために、ローマのベネディクト会からこの名前とフェカン修道院の紋章を使用する権利を取得しました。
ル・グランはオリジナルなデザインのボトルとラベルを特注してベネディクティンの生産を開始して、発売から10年後には年間15万ボトルも売り上げるほどの大成功を収めました。
1876年にはベネディクティン社(Bénédictine S.A.)を設立して、1882年に株式上場して、年間100万本の増産を可能にするために新しい蒸溜所を開設しました。
この成功は、当時フランスでリキュールが好まれていたことだけでなく、ル・グランの類稀なマーケティング能力によるところが大いにありました。
ル・グランはアルフォンス・ミュシャ(Alphonse Mucha)、セム(Sem)、ルイズ・アベマ(Louise Abbém)などの有名アーティスト達と提携して、宣伝のためのポスターだけでなくマッチ箱、灰皿など様々なノベルティグッズを作って配布しました。こういった宣伝手法は当時としては先進的なものでした。
また、1880年代にはフェカンの町にベネディクティンの蒸溜所と美術館を兼ねるベネディクティン宮殿(Palais Bénédictine)を建築家のカミラ・アルバート(Camille Albert)に建築してもらいます。1892年に火災で壊滅的な状態となってしてしまいますが、幸いなことに被害を免れた蒸溜所でベネディクティンの製造は続けられました。
その後すぐに再建が始まりましたが、残念なことに完成したのはル・グランの死後のことでした。このベネディクティン宮殿はネオ・ゴシック様式とネオ・ルネサンス様式を組み合わせた荘厳な建物で、ベネディクティンの歴史を描いた大きなステンドグラス窓があり、数百種類ものベネディクティンの偽造品など、ベネディクティンにまつわる様々な展示物だけでなく、ルネサンス期の美術品のコレクションが飾られており、ベネディクティンの文化発信の拠点となりました。
カクテルブームが起きた1920年代にアメリカでベネディクティンとブランデーを混ぜたカクテルのB&Bが流行り、ベネディクティン社は1937年にB&Bを製品化しました。B&Bは現在でも販売されています。
また1977年にベネディクティンとコーヒー・リキュールを混ぜたカフェ・ベネディクティン(Café Bénédictine)を販売しましたが、現在は生産していません。
ベネディクティンは1988年にマティーニ・エ・ロッシ(Martini & Rossi)に買収され、さらに1992年にバカルディ社(Bacardi)に買収され、現在はバカルディ・マティーニ社(Bacardi-Martini Limited)のブランドとなっています。
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